2011年10月29日

真田幸村対徳川家康の大阪夏の陣5


勝機が見えるまで不敗の体制で守りを固め、勝ちが見えればそこで突撃し、負けと思えば退却するはずですが、
それなのに、豊臣勢は最初から自分も死ぬつもりで、死ぬまでに徳川勢にも大損害を与えるつもりで戦いを仕掛けました。
真田勢は家康の首を目標に戦いを仕掛けていましたので、
自分が生き残ることを前提とした突撃と、死を覚悟した突撃では迫力がまるで違います。
だから家康自身も旗本衆も逃げ出しました。
家康がどの程度の危機に陥ったのかはわからないです。しかし、
家康自身も旗本衆も真田勢に討ち取られてしまうと心底から恐怖したことだけは疑う必要がないと思います。

  


Posted by youhiromigovernor at 00:10Comments(0)